電子書籍『スマナサーラ長老の仏教塾』
アルボムッレ・スマナサーラ[著]

内容

仏教を学ぶのは、年齢は関係ない。
いつでも、学ぶことができる。
それこそ、死の間際でも学ぶことができる。
なぜなら、仏教を学ぶとは、「生き方」を学ぶことだから。

【「まえがき」より】

これから、仏教塾を開講いたします。
 仏教塾は、文字通り「仏教を学ぶ」塾です。目的は仏教を理解することにあります。
 「仏教とはなにか」──それが、とてもわかりにくいのです。仏教の専門家でも、わかっていないかもしれません。なぜかというと、「仏教」という言葉に入る内容があまりに無数の枝分かれになっているからです。
 日本の仏教においては、天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、浄土真宗など、さまざまな宗派があります。奈良時代には、三論宗や倶舎宗などの宗派もありました。おなじ仏教なのですが、それぞれ教えが食いちがうところもあって、理解に苦しむかもしれません。
 それで、「仏教というものは、難しくてさっぱりわからない」「生き方や日常生活には役にたたないみたいだ」「葬式したり祈祷を行なったり、それが仏教なんだろうか」などと思っているひとも多いかもしれません。

 そもそも仏教とは、ブッダの教えから始まったものです。ブッダは、約二千五百年前にインドに生まれて、四十五年間、説法しつづけた歴史的な人物です。それは、宗教のテキストに出てくるような神話的な存在ではありません。
 数々の宗派仏教は、ブッダの説かれた教えの一部を発展させて、それぞれの思想体系にしたものです。あたかもブッダという豊穣な大地から、たくさんの作物が育ったようなものです。
 たとえていうと、広大な土地があったとします。そこでは、米、小麦、カボチャ、ジャガイモ、枝豆、小豆、大根、人参、スイカ、ブドウ、リンゴ、みかんなどの数えきれないほどの作物が育ちます。
 小麦がほしいひとは小麦を収穫していく。大根がほしいひとは大根をもっていく。リンゴを食べたいひとはリンゴをとる。お米を収穫をしたひとは「ここは稲田だ」といいます。リンゴを収穫するひとは「ここはリンゴ園だ」と言う。大根を持っていった人は「ここは大根畑だ」といいます。それぞれがちがうことを言いますが、言っていることはその通りです。かれらは事実を語っています。けれども真理を全体的に語ってはいないのです。
 このように、各宗派の教えというものは、自分の収穫したところだけ、気に入ったところだけ、役に立ったところだけを、強調しているにすぎないのです。ブッダの教えから発生した仏教は、そのようなものです。

 この塾では、ブッダという豊穣な大地の教えそのものを紹介したいと思います。仏教のおおもとの教えを学んだら、仏教に対する認識がしっかりします。それぞれ宗派の教えも、よりわかりやすくなることでしょう。そして、なによりブッダの教えは、生きるうえで役に立つ教えなのです。ブッダはどのような悩み苦しみをもっているひとに対しても、ものの見事に解決していったのです。
 そうして、ブッダの教えは普遍的なものです。誰でもが実践してみて、自らたしかめることができるものです。どんな時代であっても、どんなひとに対しても、通じるものなのです。

著者略歴

アルボムッレ・スマナサーラ

スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は(宗)日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事している。朝日カルチャーセンター(東京)の講師を務めるほか、NHK教育テレビ「こころの時代」などにも出演。

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