電子書籍『仏教サイコロジー:魂を癒すセラピューティックなアプローチ』
藤田一照/プラユキ・ナラテボー [著]

悩み、苦しみ、そこにこそダンマの顕現がある!
「貪り」が育成力、「怒り」が改善力、「痴」が創造力になっていく--スピリチュアル・アルケミー(煩悩を転じる錬金術)を起こす、仏教の癒すを発見する。

瞑想指導とともにブッダの智慧を個々人の悩み解決に生かして成果を上げ信頼を集めているプラユキ師と、幅広い知見から禅を伝え、また仏教によるサイコセラピーを説いた名著『自己牢獄を超えて: 仏教心理学入門』を翻訳した藤田一照師が、自身の経験をもとに仏教の癒しの側面を探究する対話。

目次

│プロローグ│ タイ仏教と日本仏教

禅僧、テーラワーダ比丘/重箱の隅をつつくような日本の仏教学者/テーラワーダ仏教の三分類/いつが本番か/面談と瞑想指導のプラユキスタイル

│第1章│何が我々を倒し、何が起き上がらせるのか

●悩みの解決
カウンセリング/悩みは菩提心の発露/倒れたところで立て/何が我々を倒し、何が起き上がらせるのか/「自業自得」の真意/善友の存在

●実存と向き合うか否か
抽象的な苦しみ、具体的な苦しみ/私事を扱わなかった、今までの仏教/そのダンマはライブでできてこそ

●修行と生き方
悟りと人格/「本当に悟る」とは、真善の統合/聖胎長養/お悩み相談は心を汚す?

│第2章│ 仏教とセラピー

●変容を促す方法の違い
仏教はとってもセラピューティック/人生を豊かにするのもセラピー、究極を目指すのもセラピー/パーソナル・イシュー(個人の問題)に触れずに、どうして修行ができるのか?/ブリコラージュ瞑想とエンジニアリング瞑想/論蔵的と経蔵的/結果はすぐに出る/修行と日常を切り離さない/瞑想会と個人面談の役割/セラピューティックの両端

●慈悲の瞑想をめぐって
個人面談はしない……、何でだろう(藤田)/慈悲の瞑想をなぜやらないか/無慈悲な人?/慈悲の祈りか、慈悲の実践か/変身!抜苦与楽マン/慈悲はポリアンナ的ではない/ラディカルな不干渉/身構えず、準備する=サティ

●問題解決への立ち位置
上手に悩めるようになる/問題自体の「問題性」の解消と再編集/問題を明らかにしていく/抜苦与楽よりも坐禅が優先/教育心理学分野での挫折体験/「こいつのせいで」が「こいつのお陰で」に/個人面談を始めるまでの道のり/マイナス500が、プラス500のパワーに/氷多きに水多し――反転

●思考と雑念と心の観察
雑念とは、まだその真価が発見されていない想像力である/すべての雑念は正念である/心において心を見る──心念処/そうじゃない、でも結局そうだった/四念処の身受心法で一つのセット/チッタ(心)からの脱同一化

●個人と対人
心理学と宗教/セックス・アンド・マネー=家庭と職業/家族がいないからこそ、言えること/僧侶には何でも言える/仏教のミッション

│第3章│ インターミッション 坐禅と瞑想

プラユキ師 → 一照師
●チャルーン・サティの指導
気づきを開発していく手動瞑想/手動瞑想指導/間違えたらどうするか/覚醒力(サティ)、受容力(サマディ)、洞察力(パンヤー)/心の姿勢/オープンハートかつオープンエンド/手の動きから、より繊細なものへ/修行の見取り図/「気づき」を言葉にする難しさ/バーヴァナー(育てる)としての修行/五つの内発的な幸せ(5C)/「坐禅すれば自然に好くなるなり」/ノンバーバル(非言語)なところでの学び/オーガニック・ラーニングとしての「面々授受」/ドゥッカ(苦)は、目覚めのために必要な材料

一照師 → プラユキ師
●坐禅の割り稽古
アウトサイドインとインサイドアウト/身体をほぐし、感覚を育てる/ Show and tell おもちゃを使って解説する/体育系の人はかえって感じにくい/止まっていることは、非常に動いていること/命そのものが現われてくる/曹洞宗の教師ランク/寺に属さないタイの僧侶/僧侶・聖職者のセックス・アンド・マネー

│第4章│ セックス・アンド・マネー

●世俗の物語を生きている
人生上の諸問題と、人生そのものの問題/人生が始まった以降の問題/「人生上の諸問題」ではない問題が、宗教と言われる営みの中にある/私の自由と、私からの自由/五段階のセルフヘルプ

z心が快復する三つのポイント/今ここ空間での気づきと変容

●個人面談の事例2 三〇代女性(B子さん)
存在そのものがOK――自己認識の書き換え/発症の三つのきっかけ/貪瞋痴とつながるセックス・アンド・マネー/貪瞋痴への瞑想的アプローチ/スピリチュアル・アルケミー(煩悩を転じるの錬金術)/渋柿は光を当てると甘くなる

●個人面談の事例3 瞑想合宿参加者(Cさん)

●解決へのスキーム
客観視のコツ――ワンクッション置く/解決に向かわない方向への努力/受け入れるべきことと、努力すべきことを見分ける

●瞑想の力を使う
自分で一つ一つ吟味していく/何度でもリベンジできる手動瞑想/身体を動かすという方便/セックス・アンド・マネーは宗教的な問題

●夢を使った瞑想技法
夢を使う統合化のプロセス/夢ワークの二つの大きな効果/サイコロジカルケアを基盤にスピリチュアルな次元に触れる

●比丘の戒律と世俗の価値
聖と俗の価値基準/戒律の一人称・二人称・三人称的な価値/家族を持つという修行の選択

●変容へ
履き違えないための念定慧/マンガ『ホムンクルス』が描くインナーチャイルド/僕らは言語的にプログラミングされている/フロイトの洞察

●面談術
一つ上の次元/三毒を転ず

●煩悩文化と悟り文化
「坐禅をすると新しい発見をしようという気が起きない」/これからの文化のあり方/悟りから生まれる文化/煩悩をデリートするのか、転じていくのか/厭離穢土、欣求浄土の二世界モデル/「小乗」的なマインドセット/人は無常だから、どんどん変わる

│エピローグ│ 禅僧と比丘の茶話
お互い違っていて、本当によかった/教えの伝授――師匠と弟子のあり方

【著者プロフィール】

藤田一照

ふじた・いっしょう

1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部 教育心理学科を経て、大学院で発達心理学 を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。二八歳で博士課程を中退し禅道場に入山、二九 歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅 を指導する。2005年に帰国し現在も、坐禅の研究・指導にあたっている。Starbucks、Facebook、Salesforce など、アメリカの大手企業でも坐禅を指導する。曹洞宗国際センター 第二代所長。著書に、『現代「只管打坐」講義』(佼成出版社)、『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)、『禅 心を休ませる練習』(だいわ文庫)、共著 に『アップデートする仏教』(幻 冬舎新書)、『感じて、 ゆるす仏教』(KADOKAWA)、 訳書に『[新訳]禅マインド ビギナーズ・マインド』(PHP研究所)、『禅的修行入門 誰でもあらゆるものから自由になれる秘訣 (TOKUMAソウルライブラリー)』(徳間書店)など。

プラユキ・ナラテボー

Phra Yuki Naradevo

1962年、埼玉県生まれ。タイ・スカ トー寺副住職。上智大学卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。以後、開発僧として、瞑想指導 者として活動。著書 に『「気づきの瞑想」を生きる』(佼成出版社)、『苦しまなくて、いい んだよ。』(PHP研究所、Evolving[Kindle版])、 監訳書に『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(カンポン・トーンブンヌム著、 浦崎雅代訳、 佼成出版社)、 共著に『悟らなくたって、いいじゃないか  普通の人のための仏教・瞑想入門』(幻冬舎新書)などが ある。 
公式サポートブログ「よき縁ネット」 https://blog.goo.ne.jp/yokienn
ツイッター   https://twitter.com/phrayuki

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